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絆に縛られる 安倍政権下日本の親密な関係における暴力

チェルシー・センディ・シーダー

訳:小田原琳

2012年春、東京で、私は初めて近藤恵子に会った。私たちのだれもがそうであったように、彼女もまた、一年を経て、日本を襲った三重の災害−−地震、津波、原子炉のメルトダウン−−が何を意味しているのかを理解しようともがいていた。この危機は社会運動を活性化させ、市民たちはチェルノブイリ以来最悪の原子力事故に対する政府と企業の対応に、疑問を感じ始めていた。しかし危機はまた、国民統合を促進する保守的な力をも刺激した。あのとき、2011年3月11日(3.11)が日本の社会と政治の転換点を記しづけていることはたしかだった。しかしその転換がどの方向へ向かうのかは、明らかではなかった。

近藤は、全国67の民間で運営されている女性シェルターをとりまとめるNPO法人全国女性シェルターネットの共同代表として、日本における親密な関係のなかでの暴力との戦いの最前線に立つ。2011年、近藤と協力者たちのもとに、最悪の被害を受けた被災地からの電話が殺到した。そのときから彼女は、私の耳にもついて離れなかった災害後の挙国一致のレトリックを批判するようになった。

人々を結ぶ「絆」ということばは、3.11後のキャッチコピーとして生まれた。芸能人は被災地のための募金集めに、「絆」の名でイベントを開催した。政府職員は「絆」を促進するプログラムを計画した。「新党きづな」という新しい中道左派政党が結成された。近藤がとりわけ注目したのは、「絆」を強めようという呼びかけがドメスティックバイオレンスの被害者を不安定な立場に立たせるということだった。津波とメルトダウンの被災地域では、世帯という法的単位が女性たちを狭い仮設住宅に虐待する夫とともに押し込めることとなった。暴力的な家族から逃れてくる女性たちを支援する近藤らには、「絆」が、家族を結ぶ紐帯ではなく束縛となるとき、女性たちに危険が及ぶことがあることがよくわかっていた。

5年後、親密な関係における暴力は悪化していた。3.11としてくくられるさまざまな出来事は決定的であったと、6月に近藤は語った。不安のなか、国民は1955年から2009年までほとんどつねに政権与党であった保守、自由民主党に頼った。安倍晋三は、失敗に終わった第一次政権(2006〜2007年)ののち、2012年に首相として舞い戻り、市民的権利への攻撃を再開した。

最近、安倍は反動的な調子を抑え、政治的人気を維持するために経済成長のレトリックにたよるようになっている。2005年には、ジェンダー平等政策への攻撃に際して安倍は中心的な役割を担った。学校教育における「ジェンダー・フリー」カリキュラムを策定しようとしていたフェミニスト研究者や官僚を、過激で破壊的、「ポル・ポト派を思い出す」とまで論評した。しかし第二次政権では、経済改革を促進するため女性のエンパワーメントという表現を取り入れている。労働市場の自由化の方策のひとつとして、停滞する国民経済へ日本の高学歴女性たちを駆り立てようとしているのである。しかし安倍にとって、新自由主義的諸政策と保守的で性差別的な社会観は矛盾なく共存している。憲法改正を目指す試みのなかで、いわゆる伝統的な家族観念を復活させるために、安倍は、女性は配偶者に属するという了解を強化しようとしている—それは、女性を虐待と、安全でない関係に拘束する観念である。近藤は政府主催の婚活イベントや、女性の健康の包括的支援に関すると言いながら、女性の健康ではなくむしろ子宮の健康を焦点としていると批判された法案を例に挙げ、日本社会でもっと女性に活躍してほしいという安倍の呼びかけを疑問視する。「エンパワーメントのスローガンの背後には、実質的には(女性に)「産め、(人口を)増やせ、働け、個人のアイデンティティを捨て、家族と国民に自分を捧げよ」と告げる政治があるのです」。

 

暴力の広がり

近藤には、行政と交渉してきた数十年の経験がある。この決断力はあるが温かい人柄の女性の活動は、日本の最北端、北海道で、1980年代に女性の権利を草の根で訴えることから始まった。1995年に北京で開催された世界女性会議に参加したのち、1996年に女性のシェルターに関する最初の国際シンポジウムを日本で組織し、1997年に日本初の民間シェルターを北海道に開設、翌1998年に、シェルターネットを共同創設した。3年後、国会は、近藤や他の活動家たちが長い間ロビー活動し、求めてきた法を成立させる。配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律である。市民グループやシェルターは親密な関係のなかでの暴力に直面した女性たちを支えてきたが、同法成立まで、政府はドメスティックバイオレンスを社会問題とは認識していなかった。パートナーの虐待がはびこる状況に対する何十年もの沈黙ののち、2001年法は親密な関係における暴力に対する保護の必要性が公的に認められたことを意味した。

弁護士の角田由紀子は、80年代に自分を虐待する夫を就寝中に殺害した女性について正当防衛を申し立てようとしたときにぶつかった困難を覚えている。1995年にThe Journal of the International Institute誌に当時を回想して執筆した記事のなかで、立論するための言葉さえなかったと彼女は述べている。ドメスティックバイオレンスについて日本語で書かれたものは、たった一冊、イングランドでの女性のシェルター建設に関わる本の翻訳であった。女性が家庭内暴力に立ち向かうということについての知識は司法関係の文献にはなく、そのような虐待の広がりや特徴についての経験的研究もなかった。

角田は1990年代初頭に、この問題の日本での広がりを確認するための民間団体、DV調査研究会の設立に関わった。同団体の調査から浮かび上がってきた虐待者のプロフィールは、ドメスティックバイオレンスは貧困や労働者階級の男性文化と関係した限定的なものであると信じたがっていた人々を驚かせた。角田は次のように書いている。「暴力をふるう人々は、ほとんどあらゆる職業にわたっていた。国立大学教授から、医師、弁護士、会社役員、聖職者までいた。これらの調査結果は、日本においてドメスティックバイオレンスが労働者階級にのみ存在するという神話を否定している」。虐待が多様な世帯に広がっているということは、現代日本の妻に対する男性の権利についての、ひそかに広がっている危険な態度を示唆していた。

この夏、近藤と話しているとき、彼女は次々と、暴力の規模を示すグラフを示した。政府の調査に基づくシェルターネットの最近の推計では、4人に1人の女性が親密な関係における暴力を経験している。この割合は、WHO(世界保健機関)が「高所得」国と呼ぶ国々と同じである。WHOは2016年に、夫や恋人のいる女性の3人に1人がパートナーによる暴力−−肉体的および/または性的−−を経験していると報じるファクトシートを発表した。残念なことに、親密な関係における暴力は世界共通の問題である。しかし日本の場合、他の国々にくらべて殺人率が低い一方、被害者に占める女性の割合は並外れて高い。国連薬物・犯罪事務所の2014年報告では、日本と香港が殺人の女性被害者の割合が52.9パーセントと、もっとも高かった。世界平均は21.3パーセントである。親密な関係における暴力が、この率を高めている。日本では平均して4日に1人、夫が妻を殺している。

レイプや配偶者による虐待はつねに少なく申告されるが、この数字はかつてなく女性が危機にさらされていることを示唆している。内閣府男女共同参画局による2017年男女共同参画白書は、配偶者暴力支援センターの相談件数が、2002年から2015年の間に3倍(35,943件から111,630件)、 警察への相談は4倍(14,140件から63,141件)に増加したとする。パートナーによる虐待ではだれでも被害者になる可能性があるにもかかわらず、2002年から2007年の間に助けを求めた人の99.4パーセントは女性であった。

だが、ジェンダー暴力の増加にもかかわらず、一時的な保護に至ることができた女性の数は、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律の施行された2002年以来、年間11,000件から12,000件に止まっていることを、男女共同参画局のデータは示している。虐待から逃げようとするときに女性が直面する複数の障害が、相談を求める女性の数の増加と、家を出て虐待者から身を守るシェルターにつながった女性の相対的に変化しない数とのギャップを説明するかもしれない。近年、法的枠組も女性の保護へと広がっているが、虐待者の犯罪化にはいまだ至っていない。2017年6月の、1907年以来の性犯罪の厳罰化を柱とする刑法改正においても、配偶者によるレイプを犯罪と認めるには至らなかった。仮にそれが実現したとしても、家族の定義や家族制度における女性の地位をめぐる理解が、より親密なレベルで、法律の効力を抑制する可能性もある。

 

家族の家父長制的論理

この暴力を生み出しているミソジニーは、日本のお役所仕事の構造のなかに埋め込まれている。日本人学生50名ほどのクラスで社会学のコースの講義の導入を、私はいつも「あなたの家族の世帯主はだれですか」で始める。世帯主とは、文字どおり、「家族の主人」を意味する。すべての家族は、市役所で住民登録する際に、一名を世帯主として指名することを求められる。技術的には、法的能力のある成人であればだれでも「主人」になれるが、実際には家族中最年長の男子が、この位置を占める。世帯主以外の成人の成員を含む家族全員の年金や健康保険など行政上重要な書類が、世帯主宛に送られる。私の学生たちを対象とした非公式な調査では、離婚した世帯しか、女性が世帯主になっていない。

私自身の経験が、行政職員が「家族の主人」という位置についてのジェンダー化された理解にどれほど影響を受けているかをあらわにしていた。私は家族内で唯一、流暢に日本語を話す人間であるにもかかわらず、私が自分を「主人」と書くことの意味を私がきちんと理解しているということを、市の職員に理解させるのは至難の技であった。今でも、日本政府が求める義務を果たすために市役所に行くと、世帯とはどのように構成されているべきかという仮定にもとづく混乱と出会う。私の家族に成人男子がいるなら、なぜ女が「世帯主」としてふるまっているのか?

日常会話での家族に関する言語自体が、女性は夫の家族に「嫁に行く」、男性は「嫁を取る」と言う。これらの用語法は、家族登録(「戸籍」)システムの父方居住原理を示している。それは婚姻における個人の−−とりわけ女性の−−権利を保護することを意図した戦後のラディカルな改革をも生き延びた。「戸籍」制度は1872年の民法に基づき、士族の家父長制的「」制度を一般化したもので、女性と子どもを法的無能力者と規定した。民法の下に創出された「家」制度は、戸主に強力な権限を与え、家族の他の成員を戸主の支配に対してきわめて脆弱にした。戸主はほとんどつねに男性であった。家父長制的な民法は、見かけは民主化した日本にも生きている。女性は結婚すると生まれた家族から出、書類上は夫の家族の一部になる。

現行の家族法はまた、結婚したカップルが同一の姓を名乗ることを求めている。異性愛結婚であれば両者は女性の姓でも男性の姓でも選ぶことができるが(日本では同性婚はまだ合法ではない)、96パーセントは夫の家族の姓を取る。「世帯主」の地位と同様、法的にはジェンダー中立的であるが、女性の自律性と個人としてのアイデンティティを犠牲にしても、前例に従うことへの社会的圧力は強い。2015年に、同法に挑戦する裁判が上告審まで進んだ。原告は民法が女性に著しく否定的な影響を与え、したがって両性の平等をうたう憲法に反していると主張した。最高裁は、姓は社会に対して個々人が同じ家族に属することを示し、「家族は社会における個人の自然で基本的な単位」であるという議論に基づき、民法は合憲であると判断した。裁判官15名中5名が憲法違反とし、3名の女性判事は全員違憲とした。

家族の構造についてのこのような理解のひとつの現れである、家庭内での労働のジェンダー分業は、しばしば女性を経済的依存状態におく。とりわけ、結婚や出産後、親戚や雇用主たちに期待されて、仕事を辞めた女性たちはそうなる。このため多くの女性たちが、虐待的状況から逃げる必要があるが、自立に十分な収入がないためにそれを選択できないということになる。

近藤は、シェルターネットにつながるセンターやホットラインに相談してきた女性たちの事例を紹介してくれた。ある女性は、「もう少し、おだやかな夫になってもらう方法はありますか」、アドバイスを求めてシェルターネットにやってきた。その女性はこう説明したという。「今さら離婚はできない。〔結婚したときに〕仕事をやめてしまったので、独りで子どもを育てる自信はありません」。30代前半に、社会からのプレッシャーに負けて夫と結婚し、「彼の家に入った」ことを、彼女は後悔していた。

しかし女性は自分自身のアンビバレンスにも気づいていた。「病院に行くほどではないし、友人もときどき殴られるというし、父親も手を出す人だったから、こんなもんかなと思います」。同時に、夫が怖くもあった。夫は、食事が冷めていると皿を投げ、彼女がソファでうつらうつらしていると引きずり下ろし、彼女の気持ちにかかわらずセックスを求めた。

シェルターネットは彼女に、「このままで、おだやかな夫になってもらう方法はありません」と言った。「あなたは、夫のモノではありません」。深刻な事態に発展するかもしれないから、子どもたちを連れて離れるべきだとスタッフは警告した。そのアドバイスは、20年にわたって女性たちをパートナーから守ってきた経験から来るものであった。

しかし地域の警察や行政は、しばしば家族のなかで解決するように女性を説得しようとする。シェルターネット関連のホットラインに電話してきた別の女性は、警察に電話したとき、「夫婦でよく話し合って解決しなさい」と言われたという。自分の両親の家に逃げ場を求めた女性はしばしば、パートナーの元に戻るように迫られる。ある女性は母親に、「妻があまり家を空けるのはよくない」と言われたと報告した。安倍政権が家族の絆を強く主張すれば、役人たちはますます、家族のなかで起こる衝突に介入しようとしなくなるだろうと、近藤は懸念している。

また、虐待する配偶者からなんとか逃れた女性の情報を、行政が漏らしてしまうケースもあると近藤は指摘する。警察が、女性が暮らすシェルターの場所を、夫に知らせる。公立保育所のお知らせが、虐待する父親に送られる。市役所が個人の詳細を「世帯主」に伝達する。故意ではなかったにせよ、意図的にせよ、このような情報が知られてしまうと、致命的な結果を生みかねない。逃げようと試みる女性を発見した虐待男性は、より激しい暴力をもって反応することが多い。

地方自治体職員に多く見られるこうしたケースの扱い方、あるいは扱いの失敗から、近藤らは、政府による支援が不可欠である一方、シェルターは自律的に運営するべきであると確信している。政府運営の女性用シェルターは規則が厳しく、利用を敬遠されている。2015年には、国の48の公立施設のうち10施設はほとんど使用されなかった(3施設は利用者なし、7施設は利用1名であった)。同じ期間に、多くの民間シェルターは満杯であったと近藤は指摘する。シェルターを求める女性たちにとって、公的セクターの提供する解決策が改善されることを近藤は願っているが、現政権は女性の労働力を利用することへの関心が高く、個々の女性を守ることは優先課題ではないと嘆く。

 

憲法改正の家父長制的論理

ドメスティックバイオレンスの増加について、近藤は安倍首相を、とくに彼の家族の「強化」を目指す動きを厳しく批判する。このことは、改憲の試みにおいても明白に表れている。

戦後日本の憲法の草案は、占領軍の下におかれたアメリカ人のワーキンググループによって起草されたが、その後、広く受け入れられた。日本の進歩的知識人のなかには、天皇を「象徴」としてではあるが残したことについて、もっと根底的な変化がそこに盛り込まれなかったことを嘆く声もあった。「陸海空軍その他の戦力」を保持しないこと(第9条)、男性と女性の平等(第14・24条)を定めたことも重要であった。

保守派の政治家たちは、戦後憲法を「平和憲法」となさしめている第9条の改変を提案しているが、これがもたらす日本の軍事化は、力の正義という感覚を生み出していると近藤は主張する。力の正義が公式化することで、親密な関係にもその影響が及んでいると。

しかし、あまり知られていないことだが、安倍が照準を合わせているもう一つの条項が、婚姻における個人の権利を規定している第24条である。「戸籍」制度の維持自体が憲法の精神を掘り崩しているが、日本の保守政治家たちは憲法の文言それ自体を変更しようと動いている。

現行の24条は、婚姻は両性の合意「のみ」に基づかねばならないとしている。自民党の改憲案では、「のみ」を削除することを提案し、個人がパートナーを選ぶ際に家族が介入する余地をつくろうとしている。改憲案には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という新たな文言も挿入されている。

日本の保守運動研究を専門とする人類学者、モンタナ州立大学の山口智美によれば、右派が大っぴらにはジェンダー平等を攻撃できない政治環境において、「家族の擁護」ははびこる個人主義に対する批判という枠組をもっているという。24条改正を議論する保守的な潮流は、24条はそのままではわがままを助長すると主張している。「わがまま」とは、結婚しない、生殖しないということも含む。

現代の若者の過剰で自分の利益しか考えない個人主義、というイメージは、社会学者の山田昌弘の議論から借用されている。山田は1999年に、大人になっても親元で暮らし、自分自身の家族を形成するために節約するよりも自由な消費者として生きることを選んだ人を「パラサイト・シングル」と名づけた。パラサイト・シングルのイメージは強烈で、すぐさま、無責任で個人主義的な若い世代のせいで、減少しつつある日本の人口の補充にどれほど失敗しているか、という議論が起こった。

個人の権利を家族の絆の強化に置き換える24条改正は、たんに保守派の家族観を満足させるというものにとどまらない。公共サービスの新自由主義的解体への道を開き、社会と社会契約をめぐるより公共的な定義を侵食する。24条の変更は、高齢者や子どものための公的補助の削減につながる「伝統的」家族の責任という観念を、法的に補強する。すでに不均衡に女性の肩にかかっている家族のケア労働の重荷は、ますます大きくなるだろう。このように、24条の見直し案は、右派の社会観と新自由主義的な経済改革のある種の共生的連携へ向かう潮流をも示している。

当然、近藤とシェルターネットが懸念を抱いているもその点である。家族のなかでの個人の法的地位が縮小されることで、親密な関係における暴力の標的になっている女性が助けを求めることがより難しくなるかもしれない。被害者は今でもすでに、虐待的な家庭環境を逃れるためにおびただしい制度的障害に直面しなければならない。個人は家族を超えて権利をもつという観念は、家族のなかでは男性が女性を所有するという仮定に対抗するために重要である。もしも改正憲法が親族にはたがいの面倒を見る責任があると宣言すれば、女性をその家族から守ろうとする公務員や活動家たちの努力は、力を弱められてしまうだろう。

安倍がいわゆる女性のエンパワーメントについてリップサービスをしたとしても、イデオロギー的にはナショナリスト団体「日本会議」とその信念は一致している。安倍と彼の18人の閣僚のうち14人は、この団体に所属している。1997年に結成された日本会議は、結婚後の個人がもとの姓を名乗ることに反対している。日本会議は新しい、「よりふさわしい」憲法を要求している。現憲法には、「権利と義務のアンバランス、家族制度の軽視や行きすぎた国家と宗教との分離解釈」があると彼らは認識しているためである。日本会議の見方は明白だ。より筋骨たくましい国民的アイデンティティを構築するために、日本の家族は絆をより強くし、より大きな家父長制的支配の下におかねばならない。

WHOは女性に対する暴力に関する2016年の報告書で、「とくに性暴力の永続化にかかわる」3つのファクターを指摘している。「家族の名誉と純潔信仰、男性の性的欲求は満たされるべきだというイデオロギー、性的暴力に対する法的制裁の弱さ」である。これら3点すべて−−個人を超える家族の強調、女性は男性に属しているという観念、ジェンダー化された暴力に対して無力な法−−が、日本には存在している。親密な関係のなかで女性に向かう暴力は、安倍政権下に始まったことではない。しかし彼は、女性を家族につなぎとめ、女性の生産労働と再生産労働を活性化させようとする試みの、最新の顔である。

 

個人を超える家族

2014年、政府の男女共同参画推進室が作成した新しいブログに、「Shine!」という英単語と並んで、安倍の笑顔が現れた。ブログは安倍政権の新しいスローガンを宣伝することを意図していた。「女性が輝く日本のために」。しかし「shine」という英語を採用したことによって、このスローガンには日本語でのもう一つの読みの可能性を開いてしまった。Shinéは、「死ね」、つまり「死ぬ」の命令形である。安倍の女性活躍云々といった政策を皮肉に見ている人々は、彼の「真の」要求はすなわち「日本の女性たちよ、死ね!」ではないかとダークな冗談を言った。

実際、労働の場に女性をという安倍の訴えは、女性たち自身の生きた経験とは無関係な、ナショナリスティックな衝動から来ている。ある講演で彼は、「女性を雇用し、活躍を促進する国は経済的に、またそれに劣らず、人口統計学的にも、重要である」と述べた。安倍率いる自民党が現在推し進めている、女性に子どもを産め、富を増やせとけしかける一手は、質的には同党の他の男性議員たちの議論と変わらない。2007年、第一次安倍政権の厚生労働大臣であった柳澤伯夫は、忌まわしくも女性を「産む機械」と呼んだ。柳澤は聴衆の自民党員に向かって、「産む機械っつっちゃなんだけども、装置がですね、もう数が決まっちゃったと・・・そういう時代が来たとなると・・・その産む役目の人が、一人頭でがんばってもらうしかないんですよ」。「機械って言ってごめんなさいね」と言いながらも、安倍自民党の男性優位でナショナリスト的な計算のなかでの女性の姿を、図らずもあらわにしている。

安倍は2020年の東京オリンピック−−安倍が売る「日本ブランド」で重要な役割を担っている−−までに自民党提案の憲法改正を達成しようと必死になっている。海外向けのこのブランドは、注目度の高いスポーツイベントであり、そのために安倍は喜んでニンテンドーのキャラクターのコスプレをし、アニメやゲーム、ハロー・キティやポケモンといった日本のソフトパワーを奨励するだろう。しかし安倍の展望にはハードパワーも含まれている。2020年には、海外派兵も可能にする改正憲法をもって世界を迎えたいと願っている。安倍政権はすでに特定秘密保護法案と共謀罪法案を通過させ、捜査情報等を秘匿する広範囲のきわめて大きな力を国家に保障した。安倍の諸政策に通底する論理は、市民的自由に対する国家権力の優越である。「輝く女性」のレトリックは、個人の権利、とりわけもっとも傷つきやすい者たちの権利をおしなべてなおざりにしていることによって曇らされる。近藤の言うとおりだ。「個人より家族、家族から国家への流れを強める動向は、私たちひとりの基本的人権と尊厳を奪うものでしかありません」。

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チェルシー・センディ・シーダー:明治大学政治経済学部特任准教授。 学術博 士。専門は現代日本史、社会運動、ジェンダー史。

小田原琳(おだわら・りん):東京外国語大学総合国際学研究院講師。学術博 士。専門はイタリア近現代史、ジェンダー史。

 

[Photo courtesy of Staff Sgt. Warren Peace]

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